2023年と言うか29歳と言うか20代の振り返り(4)2023年を振り返る③あと次回の更新内容について

おはようございます。「取り敢えず今週金曜は映画観てラーメン食べちゃお」なneonです。

今週金曜日から公開される「PERFECT DAYS」を観に行く予定です。それが終わったらその近くの美味しいラーメン屋に行って、更に周辺をブラブラしようかと考えてます。その為にも、ちゃんとブログを更新して、やる事やって行こう!と思います!

 

そんなこんなで今回の話は「退院→2023年12月19日現在まで」です。退院してから現在に至るまでを、なるべく簡潔に書きます。その理由はこの投稿の最後に。

 

・退院はしたけどさ

9月26日の午前10時過ぎ、私は2週間ぶりに自宅へと帰ってきました。

とにかく自宅が恋しかったんですよね。そもそも入院中は外の空気を一切吸えなかったし、5階(6階だったかも)の病室と1階の自販機エリアを行ったり来たりするか共用のシャワー室の2択ぐらいしか歩く選択肢も無かったし。病院よりずっと小さくて狭い我が家が、とても大切な存在と思えるようになりましたよ。

で、「退院しました!私はこれからはしゃぎます!」ってのは当然無理な訳です。「今後は自宅療法でもこの患者さんは大丈夫だな」と言う理由で退院したんですから。つまりここからが本番だったんですよね。

・あれ?入院してた頃よりきつくね?

退院したのでこれまで通り外の空気は幾らでも吸えますし、行きたい場所にも何処にでも行けますよね。だってここは病院じゃないですし。

逆に問題となるのが「今後、食生活やお酒お菓子等とどう向き合っていくか」なんですよ。だってここは病院じゃないですし。入院中なら糖尿病患者の私に最適な食事が適正な量で毎日与えられる訳です。でもここは病院ではないから、今日からは「その適正な食生活とか、適正なお酒やお菓子との付き合い方」をやっていくしかないんです。ここで血糖値やHbA1c(血糖値より重要な数値)が悪化していれば、私は入院生活に逆戻りですからね。

ただ食事の方は母親がとにかく気を遣って、低糖質でも満足できる食事を色々作ってくれました。今もそれは続いています。

私が入院中の間に「ダイエットしたい人向けの料理レシピ本」を購入してくれたんですよ。「ダイエットに効果的=低糖質で栄養バランスも考慮してある」ので。その本に載ってるレシピがまあ凄いんですよ。これも食べられるしあれも食べていいんだ...って。あのレシピ本の影響も今現在の私に大きく関わっていますね。(因みにそのレシピ本の作者はここでは伏せておきますが、「なんかいっつもハイボール飲んでる酔っ払いの料理の兄ちゃん」で分かるかと!)

で、料理の方は問題ないんです。問題は「全部私自身」にあるんです。

・「何にも出来ないし何も成し遂げた事も無い」と言う絶対的な自信

はっきり言って、この時点の私には「どうせ無理だな...」と言う気持ちしかありませんでした。何にも出来ないし、何かを成し遂げた実績も無いし、最後までやり遂げる自信が無い。それだけが私にとっての絶対的な自信でした。

ふざけた発言ですけど、これが私のこれまでの事実です。料理も出来なきゃ家事もほぼやれない。風呂か皿を洗うだけ。めんどくさいって感情優先でやるべき事も出来ない。出来ないんじゃなくてやらない。

そもそも私の中で「これは滅茶苦茶頑張ったぞ!俺は成し遂げた!やったぜ!偉い!」なんて経験が無かった。去年合同誌を完成させたしイベント当日は60部ぐらい売れたけど、私は主催者と言う仕事で色々な方とイラストやら何やらに対して料金を払っただけだし、編集作業に至っては参加者の皆様に泣きつきながら、ルビ抜けやらなんやらの対処を任せてしまった。と言うか私は素敵な絵も魅力的な文章も書けない。脳内のアイデアを文字でアウトプットするのも至難の業。ほんとに何も出来なかった。

だから、「俺、滅茶苦茶ダメな人間だよ?俺はせいぜいこの程度だよ?」って意識が昔から芽生えていたんです。まあそこ辺りの話とかも色々しなくちゃいけないですね。

・「でも俺には合同誌しか無い」

でもね、本当に私は往生際が悪い人間なんです。口だけは一人前な人間だったので。

入院してすぐに次の合同誌の参加者の皆様にも、そして私と合同誌宣伝用のアカウントにも謝罪文を書きました。「来年着手に延期とさせて下さい」と。

そもそも次の合同誌の話って、去年の12月にもう立ち上げていたんですよ。最初の合同誌がその年の6月に頒布だったので、まだ半年も経っていなかったんです。「なんか、もっと凄い本作りたい!」その一心で動いていたんです。

とは言えすぐに動くのは絶対無理なので、Twiplaで参加者を集めておいて、来年の年末から着手出来るようにしておこう!と思ってたんです。それがこの入院生活で台無しになりまして。

だって誰かに感化された訳じゃないですし。私が始めた事ですし。だから主催の糖尿病での入院が原因で合同誌の着手が延期になったのが、本当に嫌でした。私自身を嫌と言うほど呪いました。

でも「合同誌制作は中止となりました」って事は全く考えていなかった。それは私の信用問題じゃなくて、「これだけは死んでも諦めたくなかった」んですよ。

これで中止になって、もう本が作れなくなったら、もう私には何も残らない。例えこのまま生き続けていたとしても、それはもう死んでるのと同じ。

だから、中止ではなく延期にしたんです。マジで死んでる場合じゃないから。

その一心が無ければ、私の今現在は無かったですね。

・ぶつかった、立ち直った、前へ進んだ

退院してからの私自身の課題は「自分を律する事」。それに気付いてから、沢山壁にぶつかって、その度に立ち上がって、1歩だけでもいいからとにかく前へ進もうとしました。

あれは食べていいけどこれは食べちゃダメ、このお酒はOKでこれはNG、昼ご飯の内容も自分で組み立てる。色々やっては家族と衝突して、お互いに謝って、今やるべき事を改めて確認して、少しずつ前へ進んで行きました。

毎朝最初に飲む薬も、退院して1ヵ月は続けていたインスリン注射も、朝食後と夕飯前の血糖値測定も、一日たりとも欠かさず続けました。

この服薬とインスリン注射と血糖値測定は入院中も毎日やっていた事でして、退院するにはその作業をちゃんと一人でも出来るかどうかがカギを握っていたんです。

これに関しては問題無かったですね。何せ「毎日決められた事を流れ作業のようにダラダラでもやる」事にはそれなりに自信があったので。

あとは毎食後の軽い運動。これもかなり重要です。この場合は体力とか筋肉の維持ではなく「食後の血糖値の上昇を抑える」目的があったので。

最初はその場足踏みを100回やってましたが、慣れていく内に回数も増えて、ある時「スクワットの方が少ない回数でも効くな...」と思ってからはスクワットを30回から始めて。最終的には100回になって(でも自己流のスクワットだったので、病院での栄養管理士さんに先日効果的なスクワットを教えて貰いました。自己流はやめようね!)。やれる事を毎日、やっていきました。それが私にとっての最善の選択で、私自身を律する為に必要な事だったので。

・まさかの検査結果に一同驚愕!医者も困惑が止まらない...

まあ色々やりました。なので先日(2023年12月13日)受けた尿検査と血液検査の結果だけここに載せますね。こちらです。

血糖値は51180

HbA1c13以上5.8

まで下がったんです、入院したのが9月13日ですから、丁度3ヵ月です。

たった3ヵ月で、ここまで変わったんですよ!!

病院の栄養管理士さんも、その時の担当の医者さんも、昨日久しぶりに行ったかかりつけの内科の主治医さんも、皆驚いてました。と言うか内科の主治医さんに関しては「最早私に掛ける言葉が見つかってない印象」でした。ここまで改善が見られた患者さんは初めて見たとか言ってたかもしれません。

と言う事でこれにより入院先の病院にも行かなくて良くなり(今後はかかりつけの内科で対応)、私は身体も精神も大逆転の大復活を遂げたのでした!健康万歳!めでたしめでたし!

 

・次回の更新内容について

とまあこんな感じで2023年が終わろうとしていますが、今回の内容は滅茶苦茶省略して書きました。はっきり言って核心にも全然触れてません。もうこのブログに飽きたのか?

実は昨日、私のXアカウント(@sk_g_neon)にてこんなお知らせを出しました。

本来このブログでは(2023年の9月以降→2023年→20代→全体)で振り返って行って、最後にメッセージを書いてこの纏めを終わらせる予定でした。

でも昨日決心しまして。この纏めに一番必要なのは「これまでの人生を振り返る事」と「今現在の私自身が生まれた事への考察」だったんです。

今、私は幸せだと強く感じています。自己肯定感も凄く上がりましたし、自信も常に出てきました。洗面台で私自身の顔や身体を鏡で見るのにも抵抗が無くなったし、物事を今までと違う目線で見るようになったし、色々な初体験にも挑戦したくなった。「俺、変わったな...!」とはっきり言えるようになったんです。

でもその考えが生まれてきたのは実はかなり最近で(今年の12月になってから)、何故か分からないまま調子や気分も上がっていったんです。それこそ病院での検査が直前に控えているタイミングで。

最初はよく分かりませんでした。「なんか気分も調子もいい、でも何で今このタイミングで?」と思ってまして。色々考えたけど、昨日になるまで全く分からなかったんです。マジで。

それが昨日になってようやく分かったんですよ。何故幸せだと感じるのか?何故明確に「成長したわ俺!」と言えるようになったのか?それがようやく分かりました。

その上で決めた事が、「自分のこれまでの人生を、自身の保身の為に隠していた事を、全部このブログに書こう」でした。

なので次回の内容は「私が生まれてから今日に至るまで」を書きます。この記事の時点で5000文字行きそうなのに、次の記事は下手すればこの倍は行くと思います。何せ全部ですからね。

流石にこの内容を1日で纏めるのは無理なので、家族に私の過去の話を色々聞きながらそれを纏めて、毎日少しずつ書いて、今週中に公開します。

目標は今週土曜日の2023年12月23日に。これは「私が2023年を、そして29歳を終わらせる為の最後の大仕事」です。必ずケリをつけます。よろしくお願いします。neonでした。

 

2023年と言うか29歳と言うか20代の振り返り(3)2023年を振り返る②

どうも、「今朝の体重は73.1kg」だったneonです。

入院して3ヵ月経ちましたが、未だに体重が減り続けてますね......つまりまだ減らした方がいいんだろうなぁ......(適正体重は66kgらしい)

 

と言う事で、3回目の今回は「糖尿病で入院→退院まで」を振り返ります。ここ辺りが「私は今試されている状態だった」んだったろうな、と思っております。

 

・入院当初の頃とかを振り返る

「え、何で?俺が?こんな目に?」これに尽きますね。

何せ心当たりが無ければ,、自分でも分かるような不調のサインも無かった。なのに何でこんな事になってるの?とにかく戸惑いましたし心の整理も付かないまま入院生活が始まったんですよね。

でも今振り返ると、「今年の内に糖尿病フラグを立てまくってた」んですよ。特に分かりやすい所を出すと

今年4月から体重が急激に減少していた(MAX105kg→8月末の健康診断で80kgまで落ちる)

500mlペットボトルの飲み物を1度で飲み干すぐらい、常に喉が渇いていた

はあったんです。これは糖尿病の前兆としても顕著に表れるので。

後は「常にイライラしていた」「よく腹を下していた(下痢の症状が目立っていた)」とかもありますね。当初はそれらのサインに気づかなかったんです。

と言うか、体重の減少については「最近かなり痩せてきたな!いいぞ!」としか捉えていなかったし、喉の渇きも「もっと水分を摂って体重を落として行こう!」って捉えていたんです。体重が落ちている事実をポジティブな方と捉えていたんです。

だって去年のMAX体重は105kgですよ?服のサイズも最低3L以上だったし、就活用のスーツは巨大サイズ専門の服屋で買ってましたし(お陰で今はそのスーツが着られなくなりました。何かいい方法ありませんかね?あったら私に教えて頂けると...)、とにかくその事実だけしか受け取って無かったんですよ。「もしあの時......」と思った事は入院中に何度もありましたが、考えても仕方無かったですね。だって過去を変えるのは無理だし。

 

・結局何やってたの?

そうして始まった入院生活ですが、主に取り組んでいた事はこの3つですね。

①病院食での食事療法

②毎食の食前、食後2時間後の血糖値測定

③服薬とインスリン注射

 

①では病院食として糖尿病患者用の食事が毎日出てきまして、それを決まった時間にちゃんと食べる訳ですが、「病院食って意外と美味しいんだな......」と当時は思ってましたね。何というか、昔食べてた学校給食と似てるな~って感じで。魚がメインでしたがフルーツも毎日昼飯に出るし、ロールパンやうどんも出たし、何なら小さ目のおはぎも出てましたよ。(秋分の日メニューとして)

だから「糖尿病患者は糖質制限のせいで食べれる物が極端に減ってしまう」って事は実は無いんです。とにかくなんでも適量が大事なんですね。

②は毎日の食前と食後2時間後に血糖値を計測し、規定の数値を超えていればその場でインスリン注射を受けていた訳です。なので入院当初は毎日3回以上はインスリン注射を受けていました。(ただインスリン注射の単位(量)は少な目)

その注射はおへその周辺に毎回するんですけど、最近の医療は進歩してますね、これが全く痛くない。

この入院生活に於いて痛覚を感じた瞬間は?と言われると、入院日当日に受けた採血が一番でしたね......通常は1本ぐらいなのにあの時は5本やりましたから。あれが一番辛かった。

③は入院生活後半からでしたが、ここが一番重要で、最終的にはインスリン注射を自分一人でこなさなきゃいけない訳ですよ。これが出来るかどうかも退院日に関わっていましたし。

更に起床時、最初にやる事として「決められた薬を少量の水で服薬」する事もやってました。と言うか今も毎日やってるんですけども......逆に今現在はその毎朝最初の服薬だけで済んでいるので、本当に身体が改善されましたね!

 

この3つを取り組んでいた訳ですが、「この入院生活で一番辛かった事は?」と聞かれたら、迷わず「空腹との付き合い方」と答えますね。

 

・私vs空腹

変な話だと思いますが、入院中に一番辛かったのって、投薬でもインスリン注射でもなく、空腹状態を感じている事だったんです。

毎食きちんと食べたとしても以前の食事と比較するとほんとにご飯やら何やら全部の量が少ない。味付けの方はちょっと薄いね、で済むだけでとにかく足りない。味じゃなくて量の少なさがね......これに尽きる訳です。

そもそも私は糖尿病患者ですからね、許された飲み物は水か炭酸水かお茶か甘くない紅茶か無糖のブラックコーヒーのみ(こうして見ると結構選択肢あるな?)ですもん。そして毎日の食事以外での食べる行為(おやつに夜食)なんぞ言語道断ですから。つまり「次の食事まで空腹感をどう誤魔化すか」が私にとっての重要な課題でした。

最悪なのが「朝早い時間(5時とか)に目覚める」と「夕方5時以降」でしたね。ここがもう辛かった。本当に。

正直早朝パターンなら、「起きちゃったし服薬したらまた寝るしかないか......」で済むんですけど、夕方パターンともなるとそもそも空腹で眠れない。炭酸水を飲んでも誤魔化せない。これが原因な訳です。

そもそも「食事に対する欲求が(これを書いている今でも)強い人間」と言う自覚があるので、凄く凄く惨めな思いになるんですね。自分が無様にも思えるぐらいには。

 

・だから「試されていた」

この問題点を抱えながら入院生活を過ごしていたんですが、私自身の中で強く意識していたのは「さっさと退院して、現状回復に努めよう」と言う認識でした。

この入院が決め手となり「6月から働いていた職場」も「2022年の暮れから立ち上げて、今年の年末に実行しようとしていた合同誌の着手」も無くなりましたからね。

合同誌の方は入院してから直ぐに「来年に延期になりました!申し訳ない......」とお知らせしましたし、結果として前から集めていた参加者の皆様からの理解も得た訳ですけど......職場の契約更新が無くなった時は泣きました。それはもう滅茶苦茶に。

そもそも入院した週の金曜日が契約を続けるかどうかの会議があったんですよ。そこに私も居るはずだったんです。そこに私が居ないまま会議は進み、知らせを聞いたのはその日の夕飯後。醜いぐらい泣きましたし、自分を責めましたし、自分自身を呪いましたよ。

ここから始まっていたんだと思います。神様から「ここでくたばるか、無事退院してやり直すか、どうすんのお前?」って。

その翌日から、意識は変わって行ったと思います。「こんなしょうもない事で時間を費やしている場合じゃねえ!」と。

とにかく真面目に過ごしました。バレないようにコソコソお菓子とか一切食べなかったし、飲み物については看護師さんに確認を毎回取った上で買っていたし。入院期間を左右する要因が私自身ですもんね。とにかく我慢しました。我慢の毎日でした。

 

・だって本作りてえし

入院中を真面目に過ごして、3週間の予定が2週間で退院出来た理由はこれに尽きます。「だって、合同誌だけは諦めたくなかったもん......」

入院の結果として当時諦めたものは沢山あります。それこそ働ける機会を諦めざるを得なかった訳ですし。

でもね、私は本当に往生際が悪いんですよね。「合同誌の事だけは死んでも諦められるか」って気持ちが強くて強くて。私自身のメンツとか信用とか信頼関係よりも先にこの感情が出て来たんです。私にはそれしかないと当時は考えてましたし。(今でも合同誌が一番なのはありますが考え方も色々変わったので後日書きますよ)その一心で真面目に取り組んでいたんです。

 

・入院生活の終わり

その取り組みが結果として早期退院に繋がった訳です。入院当初から糖尿病専門の医師さんに「場合によっては2週間で退院出来るかも」と言われてましたが、その1週間後辺りからk

早期退院の可能性がどんどん上がって来ました。そして......

2023年9月26日、私は無事退院となりました。

でも実はここからが本番で、神様が試していたのは「退院してからの私」だったんですね。

そこからの話はまた次回で!何か色々書いたら2時間ぐらいノートPCと向き合ってたのでね......取り敢えず横になろう。

2023年と言うか29歳と言うか20代の振り返り(2)2023年を振り返る①

どうも、neonです。最近驚いた事は「ジャパンミートの紅茶がコスパ最強」です。
ジャパンミートさんは先月からちょくちょく訪れてますが、あそこは大したもんです。どれもこれも安いし魅力的な商品が多い!特に25パックで100円のスリランカ産紅茶パックにすっかりハマってしまいましたね...

 

それは良いとして、2回目の今回は「今年2023年の振り返り」を書いていきます。長文を書くスキルが無いので、ここも小分けにして纏めてみますね。

 

・2023年9月13日までの出来事

とにかく色々な所に行ってましたね...楽しいイベントが多かったです。

1月14日㈯は私の母親と私の推しである藤井風さんのライブでさいたまスーパーアリーナに行きました(ついでに大宮で1泊したり翌日は新宿中村屋でお昼にインドカリー食べたり)し、その2週間後(1月29日㈰)には昨年から予定していた北海道道南の2泊3日旅行もありました(札幌駅周辺で食べた奥芝商店のスープカレーは最高!)。やはり1月が一番移動距離が大きかったですね。

更に5月4日には浅草でMy Best Friends14(アイドルマスター関連の同人イベントです)に参加して、そのお金で翌日の群馬行きの始発で急いで帰り、その日の内にPS5も買いました。(大分無茶してたなぁ)

6月には大手の会社に契約として再就職も済ませたし、8月12日から1泊2日で金沢の家族旅行もありました。とにかく色々楽しい事がありました。

はっきり言って、ここら辺まではただひたすら楽しい事が多かったですし、再就職も済ませて「ここから年末に向けて頑張るぞ!」と言う思いでやってました。本来であればこの文章を入力している時期から次の合同誌の制作を始めていた、はずだったので。

そして2023年9月13日、今年どころか29歳、いや20代のターニングポイントとも言える出来事が起こります。

 

・糖尿病での入院

 

...ええ、糖尿病で入院しまして。結果はたった2週間でしたが。

 

その入院当時から退院に至るまでは私のXアカウントでも一度纏めていますが、(正直読みにくい文章なので)改めて整理すると

9月11日...当時勤めていた会社の健康診断にて「血糖値で異常な数値が出た」為、かかりつけの内科で血液検査を受ける。

9月12日...私が仕事を終えた後にLINEで母親から何か不穏なメッセージが届く。あまりにも気になったので電話で尋ねた所、「明日また内科に行く。私(neon)が糖尿病で入院するかも」と言われる。

9月13日...状況が未だに整理出来ないまま、母親と再び内科へ。そこでの血糖値の結果は「500以上」。すぐに紹介状を書いて貰い市内の大きい病院に行くことに。

そこで出た結論は「糖尿病で即日入院、予定は3週間」だった。ここまで全部午前中の出来事だったし、お互い気持ちの整理もつかないまま一度家へ戻り、大量の荷物を詰め込み再び病院へ。

 

もうね、本当にヤバかったんだと思います。そもそもあの時点では部屋も満室だった(個室希望)のに、院長(その時診察してくれた方)が「他に部屋あるだろ!」と言った結果、私は1泊11000円以上の「政治家とか金持ちが使うような応接間付きの個室角部屋」に行く事になりましたし。(逆にそこしか空いて無かった)

とにかく気持ちも状況も整理出来ないまま、2週間(当初は3週間の予定)入院した訳です。

勿論働けなくなってしまったので6月から契約していた会社とは契約打ち切りになるし、2023年の年末から着手する合同誌も延期せざるを得なかったし。

何というか...「ここがこれまでのツケを払うタイミングだったか...」と思ってましたね。当時は。必死に身体を治そうとしてたけど、もう何も考えたくなかった。楽しい事だけ考えて現状から目を背けたかった。そんな感じで毎日を過ごしてたんだと思います。今考えてもあの2週間は人生の中で最も長い2週間だった。

とは言えこのままだとマジで死んでしまうので、入院生活を真面目に取り組んだ結果、1週間前倒しの9月26日㈫に無事退院した訳ですが、その入院日当日以降の事は次の更新で書きます。

こんな感じで地道に更新して、年内にキリ良く完結させて行く予定です。(この方が私に合ってるね、やっぱり)

neonでした。

2023年と言うか29歳と言うか20代の振り返り(1)自己紹介とこれを書いたきっかけ

皆さん初めまして。ご存じの方はいつもお世話になっております。neonです。

1994年1月18日生まれのやぎ座、あっという間に20代が終わろうとしています。

X(Twitter)では @sk_g_neon で毎日食事の写真とか何か面白そうなネタ出しをやってます。生きてます。

そしてサークル「mOKrun?(もーけーるん)」の代表として「アイマスのアイドルを剣士にさせる合同誌」もやっております。何なら去年の6月に合同誌も出しました。(「歌姫剣客列伝」で検索してね!)

ここでその合同誌だのなんだのを最初から説明したい所なんですが、今回ブログを立ち上げた目的はそれではないのでそれはまたの機会に。

 

で、このブログを立ち上げたきっかけなんですが、「私にとって色々あり過ぎた今年(2023年)と、来年30歳を迎える私自身の振り返りをここでちゃんとやりたい」からです。

正直自分としてはXの方で思った事をダラダラ振り返る方が楽なんですが、「今年に関してはその方法で済ませたらダメだわ、マジで」と思いました。

なのでこの場所で2023年の事とか20代の事とか全部振り返って、思ったこと感じたこととかも精査して、気持ちよく今年を終わらせようと思います。

正直、私は文章を纏める技術も無いですし、面白い話をする話術もストックも無いです。おまけに絵を描くスキルも道具もありません。とにかく不器用な人間です。(こんな人間でも合同誌の主催なら出来ます。出来るんです)

でもこのまとめをやります。下手でもいいのでやります。年内に完結するようにします。(終わったらこの場所は合同誌用に使います)

 

と言う事で今回はここまで。次回は「今年の振り返り(特に9月下旬以降)」です。