どうも、「今朝の体重は73.1kg」だったneonです。
入院して3ヵ月経ちましたが、未だに体重が減り続けてますね......つまりまだ減らした方がいいんだろうなぁ......(適正体重は66kgらしい)
と言う事で、3回目の今回は「糖尿病で入院→退院まで」を振り返ります。ここ辺りが「私は今試されている状態だった」んだったろうな、と思っております。
・入院当初の頃とかを振り返る
「え、何で?俺が?こんな目に?」これに尽きますね。
何せ心当たりが無ければ,、自分でも分かるような不調のサインも無かった。なのに何でこんな事になってるの?とにかく戸惑いましたし心の整理も付かないまま入院生活が始まったんですよね。
でも今振り返ると、「今年の内に糖尿病フラグを立てまくってた」んですよ。特に分かりやすい所を出すと
・今年4月から体重が急激に減少していた(MAX105kg→8月末の健康診断で80kgまで落ちる)
・500mlペットボトルの飲み物を1度で飲み干すぐらい、常に喉が渇いていた
はあったんです。これは糖尿病の前兆としても顕著に表れるので。
後は「常にイライラしていた」「よく腹を下していた(下痢の症状が目立っていた)」とかもありますね。当初はそれらのサインに気づかなかったんです。
と言うか、体重の減少については「最近かなり痩せてきたな!いいぞ!」としか捉えていなかったし、喉の渇きも「もっと水分を摂って体重を落として行こう!」って捉えていたんです。体重が落ちている事実をポジティブな方と捉えていたんです。
だって去年のMAX体重は105kgですよ?服のサイズも最低3L以上だったし、就活用のスーツは巨大サイズ専門の服屋で買ってましたし(お陰で今はそのスーツが着られなくなりました。何かいい方法ありませんかね?あったら私に教えて頂けると...)、とにかくその事実だけしか受け取って無かったんですよ。「もしあの時......」と思った事は入院中に何度もありましたが、考えても仕方無かったですね。だって過去を変えるのは無理だし。
・結局何やってたの?
そうして始まった入院生活ですが、主に取り組んでいた事はこの3つですね。
①病院食での食事療法
②毎食の食前、食後2時間後の血糖値測定
③服薬とインスリン注射
①では病院食として糖尿病患者用の食事が毎日出てきまして、それを決まった時間にちゃんと食べる訳ですが、「病院食って意外と美味しいんだな......」と当時は思ってましたね。何というか、昔食べてた学校給食と似てるな~って感じで。魚がメインでしたがフルーツも毎日昼飯に出るし、ロールパンやうどんも出たし、何なら小さ目のおはぎも出てましたよ。(秋分の日メニューとして)
だから「糖尿病患者は糖質制限のせいで食べれる物が極端に減ってしまう」って事は実は無いんです。とにかくなんでも適量が大事なんですね。
②は毎日の食前と食後2時間後に血糖値を計測し、規定の数値を超えていればその場でインスリン注射を受けていた訳です。なので入院当初は毎日3回以上はインスリン注射を受けていました。(ただインスリン注射の単位(量)は少な目)
その注射はおへその周辺に毎回するんですけど、最近の医療は進歩してますね、これが全く痛くない。
この入院生活に於いて痛覚を感じた瞬間は?と言われると、入院日当日に受けた採血が一番でしたね......通常は1本ぐらいなのにあの時は5本やりましたから。あれが一番辛かった。
③は入院生活後半からでしたが、ここが一番重要で、最終的にはインスリン注射を自分一人でこなさなきゃいけない訳ですよ。これが出来るかどうかも退院日に関わっていましたし。
更に起床時、最初にやる事として「決められた薬を少量の水で服薬」する事もやってました。と言うか今も毎日やってるんですけども......逆に今現在はその毎朝最初の服薬だけで済んでいるので、本当に身体が改善されましたね!
この3つを取り組んでいた訳ですが、「この入院生活で一番辛かった事は?」と聞かれたら、迷わず「空腹との付き合い方」と答えますね。
・私vs空腹
変な話だと思いますが、入院中に一番辛かったのって、投薬でもインスリン注射でもなく、空腹状態を感じている事だったんです。
毎食きちんと食べたとしても以前の食事と比較するとほんとにご飯やら何やら全部の量が少ない。味付けの方はちょっと薄いね、で済むだけでとにかく足りない。味じゃなくて量の少なさがね......これに尽きる訳です。
そもそも私は糖尿病患者ですからね、許された飲み物は水か炭酸水かお茶か甘くない紅茶か無糖のブラックコーヒーのみ(こうして見ると結構選択肢あるな?)ですもん。そして毎日の食事以外での食べる行為(おやつに夜食)なんぞ言語道断ですから。つまり「次の食事まで空腹感をどう誤魔化すか」が私にとっての重要な課題でした。
最悪なのが「朝早い時間(5時とか)に目覚める」と「夕方5時以降」でしたね。ここがもう辛かった。本当に。
正直早朝パターンなら、「起きちゃったし服薬したらまた寝るしかないか......」で済むんですけど、夕方パターンともなるとそもそも空腹で眠れない。炭酸水を飲んでも誤魔化せない。これが原因な訳です。
そもそも「食事に対する欲求が(これを書いている今でも)強い人間」と言う自覚があるので、凄く凄く惨めな思いになるんですね。自分が無様にも思えるぐらいには。
・だから「試されていた」
この問題点を抱えながら入院生活を過ごしていたんですが、私自身の中で強く意識していたのは「さっさと退院して、現状回復に努めよう」と言う認識でした。
この入院が決め手となり「6月から働いていた職場」も「2022年の暮れから立ち上げて、今年の年末に実行しようとしていた合同誌の着手」も無くなりましたからね。
合同誌の方は入院してから直ぐに「来年に延期になりました!申し訳ない......」とお知らせしましたし、結果として前から集めていた参加者の皆様からの理解も得た訳ですけど......職場の契約更新が無くなった時は泣きました。それはもう滅茶苦茶に。
そもそも入院した週の金曜日が契約を続けるかどうかの会議があったんですよ。そこに私も居るはずだったんです。そこに私が居ないまま会議は進み、知らせを聞いたのはその日の夕飯後。醜いぐらい泣きましたし、自分を責めましたし、自分自身を呪いましたよ。
ここから始まっていたんだと思います。神様から「ここでくたばるか、無事退院してやり直すか、どうすんのお前?」って。
その翌日から、意識は変わって行ったと思います。「こんなしょうもない事で時間を費やしている場合じゃねえ!」と。
とにかく真面目に過ごしました。バレないようにコソコソお菓子とか一切食べなかったし、飲み物については看護師さんに確認を毎回取った上で買っていたし。入院期間を左右する要因が私自身ですもんね。とにかく我慢しました。我慢の毎日でした。
・だって本作りてえし
入院中を真面目に過ごして、3週間の予定が2週間で退院出来た理由はこれに尽きます。「だって、合同誌だけは諦めたくなかったもん......」
入院の結果として当時諦めたものは沢山あります。それこそ働ける機会を諦めざるを得なかった訳ですし。
でもね、私は本当に往生際が悪いんですよね。「合同誌の事だけは死んでも諦められるか」って気持ちが強くて強くて。私自身のメンツとか信用とか信頼関係よりも先にこの感情が出て来たんです。私にはそれしかないと当時は考えてましたし。(今でも合同誌が一番なのはありますが考え方も色々変わったので後日書きますよ)その一心で真面目に取り組んでいたんです。
・入院生活の終わり
その取り組みが結果として早期退院に繋がった訳です。入院当初から糖尿病専門の医師さんに「場合によっては2週間で退院出来るかも」と言われてましたが、その1週間後辺りからk
早期退院の可能性がどんどん上がって来ました。そして......
#neon入院day14
— neon:⚔〼をよろしくね (@sk_g_neon) 2023年9月26日
たのしい入院生活
おしまい pic.twitter.com/6lgnbGX9uI
2023年9月26日、私は無事退院となりました。
でも実はここからが本番で、神様が試していたのは「退院してからの私」だったんですね。
そこからの話はまた次回で!何か色々書いたら2時間ぐらいノートPCと向き合ってたのでね......取り敢えず横になろう。