2023年と言うか29歳と言うかこれまでの人生の振り返り(6)私の姉

私には姉がいます。1990年の3月1日、市内の病院で産まれました。その4年後に同じ病院で私が産まれました。とても大きい身体で、すくすく育ったと母は言います。

 

私には引っ張ってくれる姉がいます。外でバトミントンをやる時も、プレステ2でゲームをする時も、何か面白い事をする時は必ず、私を誘っていました。

 

私には活躍している姉がいます。中学高校と色々な事をやっていました。高校陸上部では県大会に出場してました。毎日それなりに離れた距離にある高校に、自転車で通学していました。

 

私には遠くに行ってしまった姉がいます。それは家族と衝突したからではありません。自らの夢や希望の為に、家を離れる決断をしました。母親がその場所まで車まで送って行った日に、私とおばあちゃんも姉を見送りました。その車が見えなくなった後の、いつも笑顔を絶やさないおばあちゃんの顔は、それはとても寂しそうな顔をしていました。

 

私には今、とても大変そうな姉がいます。あれから姉は、沢山の経験や出逢いと別れを繰り返してきました。数か月に1度は地元に帰ってきます。その時は家で美味しい食事を出したり、地元で頑張っている姉の友達に会いに行ったり。そして家で1泊したらまたすぐに離れて行きます。本当に、とても大変そうです。

 

おはようございます。neonです。昨日はゴールデンラヴィット!を観る為に23時ぐらいまで起きてました。最近は21時前には既にベッドに行ってますからね私。流石に今時の小学生でもその時間に寝る訳ないだろ......人として枯れ過ぎだろ......どうなんだそれは......

あ、そういえばあの有名な料理研究家に感謝のファンレターをXで送ったら何か凄い事になってました。その本人に投稿を認知して貰えたのでまあ何でもいいです。

(と言うかあの投稿を見たのならこっちのブログも見て欲しいんだけどな......実際どれだけの効果が出たか全部書いてあるのにな......ここで書く事じゃねえか......)

 

はい、本題に入ります。前回の予告通りに、姉の事について書きます。ここまでの順番が逆な気がするけど取り敢えず許してくれよな!

 

・何故このタイミングで?

自分自身を振り返り、考えて見つめ直して、ようやく結論が出ました。「自分についての結論」が出ただけです。

そもそも今日に至るまで姉の存在を出さなかったのは、姉との間に不仲でも問題を抱えている訳でもありません。断じてそのような事は無い。一切存在しない。

ただ、自分自身を振り返ってようやく気づいたんです。

・2つの原因

私は、私のこれまでの人生に於いて、姉の事を良く見ていなかったんです。何故なら「私が中学でのイジメや何やらで自らの保身に走り始めたタイミングから、姉の事を気に掛けていなかったから」。そして「そのまま姉は家を離れてしまったから」。この2つ原因でした。

 

・追いつけなかったから

私と姉は歳が4つ離れています。なので小学校では2年間は同じ場所に居たけど、姉と同じ中学校に行ってもそこに姉は居なかった。高校はそもそも別だった。なので、姉が家に居ても、私自身は別の場所に居る。そう当時は認識していたんですよ。今考えれば最低な事をしていたなって......追いつける追いつけないとかそういう話じゃないのに、「姉には追い付けないから家族でもなんか違う扱いをしていた」。本当はそうして割り切っていたのでしょう。同じ家族なのに。それは流石にやべえよ当時の俺。マジで死ぬ程反省しとけよな当時の俺!

 

・もう家に居なかったから

そして私自身の身を守る事に必死でもがいている内に、姉は家を離れて行きました。その理由は「災害で困っている人を救いたいから」。東日本で大きな災害が起こってなんかもう日本中のみんなが大変な頃になる、あの時よりも前の時点で決めていた事です。それを決心してその仕事に就いた後に、あの事が起こったんです。

勿論、姉も現場に行きました。それはもう、とても大変そうでした。日本中の部屋の明かりが最小限になって愉快な仲間がポポポポーンしているCMヘビーローテーションされて、私が当時からハマっていた音ゲーでも色々な形で大きな災害への応援メッセージを出して、とにかく日本中のみんなが、前を向くしかなかったあの頃から、姉は頑張り始めていたのです。この時点で、実家に姉は、居なかったんです。

それでもまだ、私は、姉の事を、しっかり見ていなかったんです。最低だよ俺は。

 

・私は死ぬ気で反省しろ

こうして時は流れて流れて平成が終わり、令和が始まったと思ったら今度は疫病で世界中が滅茶苦茶になりました。今は疫病が流行る前の平穏を取り戻そうとしている流れでも、今度は冬のインフルエンザが邪魔をしてきてお前ら本当にしつこいな!こうなったらこっちも徹底抗戦で一族諸共根絶やしにしてやるからな!俺は自衛の為に人が沢山いる場所でもまたマスクを着け始めたぞ!外から帰った後の毎回の手洗いも徹底し始めた!ついでに喉うがいも毎回してやる!どうだ悔しいだろ疫病共!簡単にくたばる人類だと思うなよ!!!分かったか!!!

 

本題に戻ります。結局今日に至るまで、世界でも日本でも、私が住んでいる群馬県でも、家族内でも親戚でも身内でも、私のXのフォロワーさんにも、そして私自身にも色々ありました。そして姉も。これは紛れもない事実です。みんな平等に大変だったし、苦しんだ。だとしてもそれだけでは無かった。

それを丁寧に丁寧に振り返ると一生このブログが終わらないので、これまでにしておきますが。ネガティブな事ばっかじゃねえな、と。私は今年それに気が付いたんです。

同時に気が付きました。私は、家族としても、一人の女性としても、それ以外の視点でも、姉の事を良く見ていなかった。向き合っても居なかった。これは私が姉にとった最大の侮辱でもあり、失敗でもあり、後悔でもあります。例え私自身が「私の人生に無駄な時間は無かった!」と大層立派な言葉を述べたとしても、この事実は絶対に変わらない。絶対に無下にしてはいけない。ましてやそれを避けて綺麗に自分纏めの事を終わらせる事など、絶対に許されない。死んでも許されない。

 

懺悔します。「私は、これまでの私自身の人生に於いて、姉の事を大切にしていなかった。」

なので今、この場を借りて禊を済ませます。今から私の姉の事を振り返るのは、これまでの17年分の空白を埋める為に。その答えを出す為に。そして今の姉へ、改めて感謝の言葉を伝える為に。よろしくお願いします。

 

・1つの反省点

この1つに尽きます。「当時の私は、姉に対して本当は色々ネガティブな感情を抱いていて、それをずっと抱えたまま何もせずに生きてきたから。」

だって、凄いんですよ。確か中学か高校で生徒会の役員をしていたし、最初に書いた通り高校の陸上部では県大会にも出場していて。

私の中学高校は以前書いた通りでしたし、中学ではなんかもう流れるままにバスケ部に入ったけど、一度も試合のフィールドに入れませんでしたからね。そもそも雑用すらしてなかった。遠征ではベンチの後ろで応援のコールして、剣道場とか柔道場の暑かったり寒かったりするスペースで菓子パン食ってこっそりガラゲー弄ってましたから。でも中学のバスケ部クッソ弱かったからな。中体連の市大会で135-20とかあったもんな。そういう話じゃねえわ。

 

そして高校卒業後の進路は「人を助ける仕事」を選んだんですよ。当時から日本は災害が多かったから。そこで困っている人を助けたいって。その仕事に就いたらすぐにアレが起こったんですから。今年の阪神の事じゃねえよ。

すぐにその現場に派遣された姉は、被災地で色々な事をしていました。明日の事すら分からなくて、死にたくなるぐらいの不安に駆られている、被災地で過ごすしかない人々の為に、姉はその人々を救う為に、当時全力を尽くしたんです。

その仕事を辞めた後、姉は沢山の経験を積みました。その対象は姉以外の他人の為に。それは今も続いています。

仕事の内容が色々変わって、様々な人と出逢い、数々の経験を積んで行きました。出逢いがあるんですから当然別れもあります。

そして姉は、数々の辛い問題にも直面しました。一時期本当にヤバい時期があったんですよ。それこそ昔の私みたいな、「尊厳も何もかもを職場や他人に奪われて、心身共にボロボロになりながらも実家に帰って来た」時は。当時その姿を見た私は、姉が死んでしまうと思った。怖かった。それでも私は手を出す事が出来なかった。出せなかった。無視でも避ける訳でもなく、どうすればいいのか本当に分からなかったから。

でも姉は、そのどん底から、這い上がってきたんですよ。復活する為に必要な事をこなして、根本が腐り果てる事も無く。また前を向いて、新たな環境へ走り出したんです。

私はそれを、本当に凄いと思った。叶わないと思った。私には出来ない事だと思った。

だからその時点でも、まだ私は「私と姉とでは次元が違う」とでも感じていたのでしょう。馬鹿野郎だな、当時の俺は。死ぬ気で反省しろよ。ここが超重要な反省点だからな。

 

・そもそも家族だろ

 

かつて私は、私の家族の中でも、姉と私を別として考えていた。

これこそが最大の反省点であり、気付くべき事だったんです。

昔の私は、姉の表面しか、見ていなかったんですよ。姉を、家族の一員を、一人の人間を、ちゃんと見ていなかった。だから私自身の人生を振り返った時に、姉との思い出が真っ先に出て来なかった。今ちゃんと思い返せば、姉は私と、とてもとても触れ合っていたんです。

姉のフィルターには、劣等感とか比較とか、そんな下らなくてしょうもないものが、無かったんです。私は姉にも愛されていて、ちゃんと愛を注いでいた。そもそも家族だからね。

それを素直に受け入れていなかったのは、当時の愚かな私だけだった。そういう事。

そもそもね、家族に対して見返りとかも要求してましたからね。昔の私は。とんだ屑だよ当時のアイツは。その癖してさ、他人どころか家族にさえ否定されるのを恐れて、可愛くて仕方がない自分自身の保身しかしてなかったんだから。「自分の身は自分で守ろう!」とか抜かしやがってたぞ当時のアイツ!今の俺が代わりに1000発ぶん殴ってやろうか!

 

・だからもう一回最初から。

私がかつてしていた、私の姉に対する「当時の私が出していた結論」と「それが起きた原因」は突き止めました。原因はやっぱり過去のお前だったか。死ぬ気で反省しろよな昔の俺。

なので、最後にやる事は「今の私が、今の姉を紹介する」です。この投稿の最初に書いた姉の紹介は、昔の私自身が見ていた姉なので。

と言う訳で、最後に改めて、私の姉を紹介します。今の私が。今年も4日ですね、まだ2023年は終わっていませんから、最後まで油断せず、楽しい年末年始を過ごして行きましょう。neonでした。次回は最終回!

 

 

 

 

 

 

私には姉がいます。私と同じ病院で産まれた彼女は、その頃からとても大きい身体だったそうです。

 

私には私を導いてくれる姉がいます。楽しい事もそれ以外も、何もかも未熟な当時の私の手を引き、私を導いてくれました。

 

私には頑張っている姉がいます。学校の役員もスポーツも、楽しい事も宿題も、全てに対して全力を尽くしていました。

 

私には誇れる姉がいます。被災者を助ける為に、その道を選んだ。その信条の為に、東日本大震災でも奮闘した。あの時、姉に色々と助けられた人は間違いなく存在します。

 

私には他人の為に尽くせる姉がいます。仕事内容が変わっても、根本が「人と触れ合う、人を助ける、人に尽くす」である事は変わらず、人の為に真剣に向き合い、真剣に考えています。その人の為に、今も毎日を生きています。

 

私には、自慢の姉がいます。いるんですよ実は。他人に代わる事が絶対に出来ない、ただ一人の、大切で尊くて、最強なうちの家族の一員が。

 

それが、私の姉です。よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

お姉、だから無理しないでな。